2019/03/04 猪目の雫 - お雛様に見つめられて

Inome

 雨降りの枝に猪目の形の雫。今ならハート型というのだろうが、猪目は文字通り猪の目。古来、魔除けの文様として使われている。
 今日は雨。雛人形はよく晴れた日に片付けるのがいいと言われている。人形を湿気と共に箱に入れないようにということなのだろう。どうも今週は雨が続くようなので、まだ当分は飾ったままになりそうだ。
 一方で、雛人形はひな祭りが終わったらできるだけ早く片付けないと、婚期が遅れるとも言う。迷信と言われればそれまでの話。そもそも娘たちが結婚したいのかどうかも知らないので、婚期の心配など余計なお世話なのかもしれない。
 今どき、結婚すること、それも婚期が遅れずに結婚することが幸せなことなのかもよくは分からない。でも、いつ来るか分からない婚期がそんなに遅くはない方がいいのではないかと、思うのも親心というものだと心得て、いつ片付けようかと、アップライトピアノの上に飾った二対の雛人形に見つめられながら気を揉んでいるのである。
 あれ、でも、長女はもう成人。成人でも雛人形は飾るのかな、どころの話ではない。婚期の方がそう遠い未来の話ではなくなっているのかもしれない。そうなると、雛人形は早く仕舞うべきか、反対にゆっくりの方がいいのか。お内裏様に聞いても何にも答えてはくれないのである。
 そういえば、一般論として考えると、結婚そして出産は、自然でめでたいのではあるが、生物としてヒトを考えると、性が雌雄に分かれていて、それぞれが好きになって、なんていうプロセスを要する仕組みはなんとも面倒くさいことではある。その面倒くさい仕組みの生物はどうして進化の過程で淘汰されなかった、どころか、雌雄に分かれた性の仕組みが生物の中で広まっているのはどうしたわけなのか。
 二〇一五年に、コクヌストモドキ(Tribolium castaneum)とかいう聞いたこともない虫を使った実験が科学雑誌Natureに載った。雄と雌の数のバランスが異なる集団で何世代も交配を繰り返し、その集団間での生存を比較したのだ。その結果、雄の数が雌よりもずっと少ない集団は生き延びたのに、雄にとって雌獲得競争が緩やかな集団は絶滅してしまったというのである。雌が多数の雄の中で特に優れた個体を選ぶことを何世代も続けたことにより、その集団は絶滅を逃れたのである。つまり雌雄という性の仕組みは種の存続に役に立ち、また必要であったということを示した実験ということになっている。
 はて、今の人間社会では、どんな男性が選ばれているのだろうか。生物として種の存続のために優れている雄と、この複雑怪奇な人間社会で生きていく技に優れた男性とは、同一であり得るのだろうか。ヒトという生物の中でどのような性質が種の存続に必要なのだろうか。今の人間社会の倫理とか理想像と、ヒトが生物として負わされている自然の摂理とは一致しうるのだろうか。あぁ、それよりも何よりも、うちの娘たちはどんな男を連れてくるのかな。
 振り返って、父親としての自分は、果たして生物として、あるいは社会的な人間としてどちらかの命に叶っていたのかなと顔を上げたら、酔眼がお内裏様の目と合った。
 あぁ、なんだかお雛様に見つめられると辛いね。雛人形は早く片付けた方がいいって、こういうことなのかな。片付けたら何か猪目のものを飾っておこうかな。

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