2019/01/20 入試の季節になると

Kantsubaki

 大寒の今日、センター試験二日目が終わった。大学入試はいよいよ佳境だ。
 東京では中学入試は二月一日に始まる。今でもあるのだろうが、四十年前も正月三が日に塾に行って特訓と称する授業があった。そう、五十歳を過ぎてもこの時期になると中学受験のことを思い出す。
 小学四年生の頃からだったろうか、塾を複数掛け持ち、土曜も日曜も塾に行った。家に帰ってからも夜遅くまで勉強した。自分なりに頑張ったのに、成績はちっとも伸びなかった。
 週末に受けるテストの成績は最下位の方。頑張って解けるようになった問題はちっともテストには出ない。ただただ悲しくて辛い毎日だった。
 ある日、同じ塾に行っているがずっと成績の良い近くに住む友だちから、一緒に勉強しようと誘われた。行ってみると和室には会計士のお父さんが座っていて、その向かいに友だちと並んで座らされた。お母さん手作りのプリンが出てきた。友だちが分からずに鉛筆を持つ手が止まってしまうと、お父さんが助けてくれていた。分からないと言えば、丁寧に教えてくれていた。
 その当時、職人の父、専業主婦の母を見ていて、勉強なんかして大人になって何の役に立つのだろうと正直思っていた。大人になってから使うことなんてあるのかなと、自分の親を見て思っていた。それが、お父さんが勉強を教えられる、勉強が大人になってもできる人が先生以外にもいるというのが、驚きでもあったのを覚えている。
 その日は、家に帰ってから、問題を母親に聞いてみたが、案の定、全く分からない。友だちのお父さんはちゃんと教えてくれていた、と言うと、教えられないから塾に行かせてるんでしょう、って言われた。でも塾の勉強をお父さんお母さんから教えてもらえる子はテストの成績がいいんだ、僕がテストでできないのは、親がバカだからだ、どうしてこんなバカに生んだんだと、ヒステリーを起こしてしまった。それを聞いた母はただただ涙を流していた。泣かせてしまった。
 高校を出てきて集団就職で東京に出てきた母。高校すら出ていない父。そんな夫婦の子を複数の塾に通わせるのに、家計のやりくりをして、大変な思いをしたのだろうが、当時はそんなことは全く分からない。ただ、どんなに時間をかけて頑張ってもちっとも分からない、捗らない、テストは伸びないという現実だけを見せつけられるのが塾だった。
 今、電車で塾に通う子どもたちを見ると、いつでもこの年齢での塾通い、受験ってどうなんだろうと思う。もっと伸び伸びと子どもらしい生活をとも思う。でも、結局は自分の娘二人にも中学受験をさせたのである。良かれと思って。
 家で勉強を教えてもらえたり、勉強に専念できたりする家ばかりではないだろう。それぞれの家庭の事情もあるだろうし、家庭間の格差は、受験の結果にも影を落としもするだろう。それでも、そんな格差や逆境、いいこと、悪いことをみんな乗り越えて入試を突破していくことによって、望む道が拓きたい希望があるならば、労を惜しむな、頑張れよって心の中で応援してしまう。あとひと頑張りだ。春はもうすぐだよって。
 平成ももう終わろうとしているのに、受験の悲喜交々は昭和の時代からずっと変わらなかった。競争やテストを無くそうとか、ゆとりをもう一度などとは思わない。現実の社会が競争に満ち満ちているのに、学校教育だけが競争のない社会でいいわけはない。ただ、評価軸が勉強・テスト成績だけっというのは何とかならないのかな。そう思いながらも社会を変えられる提案もなく、また杯を重ねるだけで夜は更けていく。

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