2019/01/14 成人の日 - 子ども時代の最後の日

アオサギ

 今日は成人の日。市区町村などの成人式があちらこちらで行われたようだ。振袖、紋付き袴、不可思議な格好をした新成人など様々。どちらかというと、昔は、大人としての最初の儀式という捉え方をしていたが、最近は、子ども時代の最後の日を大人の格好をして大はしゃぎという感じに近いように感じる。
 五十歳を過ぎても自分が本当に「大人」なのかなと思うことがある。法律に照らせば成人ではあるが、法律、あるいは社会が前提としている理想化された「大人」になっているのか、よくわからないまま来てしまった気がする。
 いい歳のおっさんになってるから、表には出さないが、今でも甘えたかったり、褒められたかった。それでも子どもっぽい部下には、大人ぶってみたり。
 大学生になるためには、大学の入学試験に合格しなければならないし、医師になるには医師国家試験に合格しなければならない。
 でも大人になるためには、そんな資格試験も、通過儀礼もない。大人になったのかなっと、きょろきょろしながら、たばこを吸ってみたり酒を飲んでみたりして、誰も何とも言わないな、やっぱり大人かな、みたいな感じだ。決定的に大人になるという瞬間がない。それは成人式には行かなかったからというばかりではないだろう。
 次女の成人が来年に迫っているのに、親が自分が大人なのか悩んでいるようではしょうもない。理性的に、合理的にそして、社会から求められている役割をよく理解して、大人ですという、ふりをするのが求められているのかもしれない。そう、役割をうまく演じられるというのが「大人」ともいえる。
 そもそも大人とはという問いへの答えは、誰も教えてくれない。それは人としての生き方そのものだから。でも、さすがに五十歳過ぎても分からないのはまずいかな。杯の中のでさざ波が立った酒を口に運びながら、遠い昔の「子ども時代の最後の日」を思い出そう。

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