2019/01/13 考慮されたい違いと、考慮されたくない違い

Frauenparkplatz

 先日、慌てて職場から地下鉄に飛び乗った。まだ九時ちょっと過ぎだったのではないかと思う。席が空いていたので、座って間に合ったとほっと息をついて、資料を確認しようとしたら、窓際に立っていた女性が前に立って
「女性専用車両ですよ」
と怒ったような声で言ったのである。
 えっ、と思うと確かに周りは女性だけで、妙に席が空いている。その年輩の女性以外は誰も私に視線は向けてはいないのだが、なんだか居心地の悪い冷たさを感じる。
「あっ、失礼しました」
とひと際大きな声を出して立ち上がり、わざと頭を掻いて、本当にうっかりと間違ったのだという雰囲気を出しながら隣の車両に移った。その隣の車両は、当然、男女混成で空いている席などない。
 女性専用車両にはいろいろな議論があるようだし、抗議活動をしている人もいるように聞く。女性であっても乗りたくないと言っている人もいる。敢えて抗議をしようとまでは思わないの。平日の朝に走るあの車両の雰囲気は異様だった。
 昨年の秋にドイツのケルンに行った際に、ビルの中にあるとあるレストランに車で連れて行ってもらった。多くのビルのように駐車場は地下にあって、その日はぱらぱらとしか駐車している車はないのだが、知人は店への入り口からだいぶ遠いところに車を停めたのである。
「どうしてこんな遠くに停めるの」
「入口に近いスポットは女性専用なんだよ、ほら」
と、女性のマークついているのを見せてくれた。ドイツ全体というわけではないようだが、州によっては女性専用駐車場(Frauenparkplatz)の設定が必要となることがあるようだ。そこは、入口に近いこと、カメラで監視するか警備員がいること、警報装置などが設置されていることなどという条件があるのだそうだ。確かにビルやマンションの地下駐車場は、人の出入りも少なく車や太い柱の陰に誰でも潜んでいられそうだし、車も密室になりうるので、女性が狙われるということもありうるのかもしれない。
 とはいえ、やはりこれは女性差別ではないか、反対に男性差別ではないかとドイツでは議論があるようだ。
 考慮されたい違いと、考慮されたくない違い。性別を考慮されたい違いとするのか、しないのか。その違いへの考慮を合法的な区別とするのか差別とか捉えるのか。状況によっても違うし、また一人一人の感性によって異なる結論が出てくることもあるだろう。よくテレビでコメンテーターと称される人たちが、よく議論してみんなが納得できるようになどと言っているが、この手の問題は誰もが納得できる一つの結論は難しい。そして、何から何を守ろうとしているのか、あるいは隔離しまうような制度ができて、なんとなく悲しい「壁」があちらこちらにできている気がしてしまう。
 銀座の人気のビアホールに行くときには、いつもとある知人と行くことにしている。彼はその店の常連で、店の誰に彼の名前を言っても知っているし、彼も店員の名前を皆知っている。店に入るのを待つ長い列ができている時であっても、彼の名前を言いさえすれば、すぐに店の一番奥の特等席に案内してもらえる。聞けばほぼ毎晩通っているのだそうだ。彼は、
「今まで相当、払ってきていますから」
と豪快に笑っていた。飲み屋の常連。これは一見さんとは違う、考慮されたい、されてうれしい「違い」。こんなところで公平、不公平を持ち出せば野暮だ。
 はて、いろいろな価値観が共存・並存しつつ新しい価値観もどんどん加わってくる中、どうやって粋に生きていくか。考え始めると酔いが覚めそうだ。さぁ、おつもりにしよう。

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