東京の地下鉄は、路線、時間帯によっては、乗っている人のほとんどが外国人で、英語だけではなく様々な言語が飛び交っている。駅の案内板はもちろんだが、最近では広告も多言語対応のことがある。
東京オリンピックが近づいてきているからか、東京の地下鉄では日本語の車内放送の後に、外国語のアナウンスが追加されることがある。英語のことが多いが、先日、はっきりは分からないがたぶん中国語での放送もあった。
東京駅の構内放送や、空港行きのリムジンバス乗り場ではしばらく前から英語で案内をしていて、こちらは発音がすばらしいので、英会話ができる人を配置しているのだろうと思う。
ところが地下鉄の車掌さんは、必ずしもそういう人ばかりではないのだろう。昔、中学校の英語の先生が話していた、そのままカタカナに置き換えられるような懐かしい発音の英語アナウンスが多い。なんかホッとする懐かしの英語。
そんな英語のアナウンスに対して、ネット上で「何言ってるのかわからない」、「発音悪すぎ」、「恥ずかしい」といった書き込みを見ることがある。
確かに、最近の若い人は、英語の発音がきれいで、物おじせず英語で話せる人が多くなってきているかもしれない。でも、発音がきれいなじゃなくちゃ、英語を話しちゃいけないなんてことはないし、カタカナ英語のアナウンスは日本人として恥ずかしいなんて、日本国民を背負って考える必要はなくないか?
学校では英会話なんかなかったし、仕事でも使わなかった人が、これからは英語を話しましょうって突然言われても、口や耳が英語の発音対応にすぐ変化できるわけではないよね。
世界には、発音やアクセント、イントネーションなんかは二の次で、「伝えよう」「話そう」という思いで外国語を話す人はたくさんいる。確かに通じにくい場面があるかもしれないが、言語は、双方向のコミュニケーションだから関わる両者が分かろうとするかどうかだ。
外国語で伝えたいことがあるなら、発音がきれいでなくたって、恥ずかしがったり、貶めあったりする必要なんかない。イギリス人みたいな英語じゃなくちゃだめとか、アメリカ人に近くなくちゃダメなんて考えて黙っているより、カタカナ英語でも話す方がいいに決まっている。どんどんと、言葉を発している人を貶めないで、もっと応援してあげなくちゃ。
一人一人が、構えずにもっと気楽に、周りも、もっと大らかに外国語を発していけるようになると、外国人にとっても来やすい、働きやすい、住みやすい日本になるじゃないかな。自分の知らない言葉を話している人が隣にいることが自然な国に。
分かりにくくても、自分の国の言葉を話そうとしてくれている人を見て気を悪くする外国人はそうはいないだろう。ちゃんとしてなきゃダメかな、っていう遠慮と、恥ずかしいかなっていう思いを超えて、ひと足先に努力を始めた人を前向きに応援できる人が増えるといいよね。
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