2019/06/16 10年パスポートの残酷さ - 老いる自分

Skuranbo

 パスポートを更新してきた。古い方のパスポートは無効印が押印して返してくれた。
 四十二歳の時の写真と五十二歳の写真を比べると、目の下はたるみ、口角も落ちている。次の更新は六十二歳。十年パスポートの残酷さに慄く。
 若い時は格好よかったのに、とまでは言わないが、それなりに姿かたちが変わってしまった。太ったり、禿げたり。いやいや、別に格好良かったことなんて一度もなかったのかもしれないけど、この十年刻みの変化がなんとも切ない。歳を取ること、老けることが悪いわけではないし、それに抵抗しようとするわけではない。それでも、若さって眩しい。何か衰えていく自分、若かった時の自分を思い出してその姿と乖離していくことを想像することが辛い。なかなかそこを超越するのは難しいね。

Hotlips


 大学院の時に、マウスが一定の動作をすると餌をもらえるというボックスの実験をしたことがある。こうすると、こんないいことがあるっていう将来のいいことを想像した行動はマウスでもできる。必ずしもこれからの将来にいいことがあるとは限らないけど、昔輝いてた時のすばらしさを愛おしむことができるのは人間のいいところかな。
 そう、人間と動物の違いがあるとしたら、今の姿かたちだけではなくて、昔の姿を思い出して人を愛おしんだり、愛することができることかな。
 もちろん、火を使ったり、機械を作ったりが、ヒトと動物との違いといわれる。でも、もっと根源的には、その人の昔の姿を思い出したり、想像したりしてその幻影を愛することができたり、人間としてこうあったらいいという姿や生き様を思い浮かべながら、そうなっていない自分や他の人を愛することができるのが人間に与えられた、人間としての力ではなかろうか。
 同年代の人の中で、
「俺の人生って何なんだ」
って一度も叫ばずに生きている人はきっとほとんどいない。描いた夢は夢に終わり、思い通りに行っていることなんて何もないように思える。過去を振り返れば恥ずかしいことがいっぱい、人にわざわざ蒸し返されたくないことばかり。
 人間は性的に成熟しても子を養っていたり、親や祖父祖母を養ったりする。働くことだって、それが誰かのために、何かのためになっていると想像して頑張れたり。

 人と比べなら相対感の中で生きるのは辛いとはよく言われる。やっぱり人と比べて満足したり、マウンティングするような人生ではなくて、ほんの少しでも人のためになっているって思える人生であったらいいのかな。そんな風に、人生に意味を見つけようともがくのが人間なのかもしれない。
 そして、十年パスポートの写真を見て、もがくように、頑張って筋トレをしてみた。誰のためにもならない筋トレだけど、時間に逆らうぞという決意と自己満足。それだけでもいいよね。

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