涙石(ルイセキ)症という病気がある。結石ができて、目の表面を潤す涙の通り道が詰まるので、感情の起伏とは関係なくいつでも涙が目からこぼれ出てしまう。涙が宝石に変わるなどと書かれることもある疾患である。
先日、神戸、布引の滝の雄滝に行った時に、「涙石」と書かれた石があった。小さく「行平」と書かれていて大きく「涙石」とある。だいぶ大きな石だが、これは誰かの涙が石に変わったものなのか?
新神戸駅から雄滝へ至る道々、布引の滝を詠んだ歌碑が据えられていて、足を止めては碑を読み、思いを馳せてはまた歩く。
場違いのスーツ姿でようやくたどり着いた滝は新緑の緑の中にぽっかりと開いた白く輝いた別世界のようなところにあった。
その滝がよく見えるところに置かれた涙石(なみだいし)は、不遇をかこつ在原行平が滝見に来た際に落とした涙がこの石の上で「涙」という字となったものだということだ。
雄滝を望む、「狭ご路も橋」の両袂にはそれぞれ在原行平の歌碑がある。雄滝に向かって橋を渡った涙石の傍の歌碑には、
「こきちらす たきのしら玉 拾ひおきて
世のうきときの なみたにそかる」
とある。(古今集)
滝を見て現世へ戻ろうと橋を渡ると、そこには、
「我世をは 今日か明日かと 待つ甲斐の
涙の滝と いつれ高けむ」
の碑がある。(伊勢物語・新古今集)
どちらの歌が、石に涙の字が浮かんだ時に詠まれたのか、あるいは同じ時だったのか。
歌意から考えると、「涙の滝」の方なのかと思えるが、涙石には「たきのしら玉」の碑の方が近くにある。素人には、「涙の滝」の方は和歌としてはやや直情的すぎて感じられる。思うとおりにならない世の中を生きる宮仕え、現代ならば勤め人に共感を得やすい「涙」という意味ではこちらかもしれない。
確かに生きていて、人と関わっていれば、楽しいことばかりではない。確かに不遇を嘆いて涙を流すということは、古今を問わずあるだろう。ただ、布引の滝と同じ雰囲気を湛えていたのであれば、滝を前にして詠んだ歌としては「しら玉」の歌に込められた雅さの中にある深い憂いを採りたい気分だ。
宮仕えの憂いだけではない。「世の憂き時」は繰り返し、繰り返しやってくる。なのに、もう涙は涸れ果ててしまった。滝の白玉のような飛沫を拾い集めておいて、今度、辛くなったときに流す涙として借りておこうという思い。布引の滝を訪れて触れた飛び散る雫の清々しさと、涙も涸れた心の中の憂いとの対比が切ない。
滝の白玉を手に掬いながら滝壺の周りを歩いていたら、集めた雫が一粒石に落ちた。落ちた神滝の雫が涙の字を描いたと考える方が、行平自身の涙が落ちて涙の字に見えた考えるよりもずっと歌の気分が出てくるのではなかろうか。
平成最後の日。平成元年はまだ学生だった。卒業して、夢かなって医師になって、結婚して、娘たちが生まれて。楽しいことも、悲しいこともあった。涙もこぼれることもあったが、新たに始まる令和の時代、布引の滝の白玉を借りずに済むように、いや、流す涙も宝石となるように凜と生きていかなくては。
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