2019/03/10 酒壺になりたいか、酒樽になりたいか - 春の匂いと色

Hyugamizuki

 西宮に住んでいる頃は、すぐ家の近く甲東梅園があって、梅が咲き始めるとカメラを持ってよく行った。まだ澄んで冷たい空気に凜とした香。凜としているのだが儚くて、一輪だけ開いたばかりだとすぐ近くにまで行かないと香ってこないが、花が開いてくると一途な強さに儚さをまとった清々しい香に懐かしさを感じる。
 すっかり満開になる頃には、他の花も咲き始めて空気の中の「雑音」が増えるためなのか、梅の香が花の数の割には際立たなくなってくるように思う。やはり梅は咲始めを楽しむのがいいのかもしれない。
 匂いは寒くて乾燥している時よりも、暖かく、湿度が高い方が感じやすいと言われている。感じやすいというだけではなく、匂いが出やすいということもあるのだろうが、確かに暖かくなってくると、生き物の発する様々な匂いが漂ってくるようになる。それが生きているということなのかな。
 近くの公園に行ったら、梅はすっかり満開、河原には菜の花、ヒュウガミズキと黄色がまぶしかった。あと数週間で桜が咲くと全く色合いが変わってくるだろう。匂いも色も移ろう。
 高校を卒業する娘が、母親と出かけて化粧品を揃えてきた。家の中にも春が来て、匂いと色が移ろおうとしているようだ。
 地酒ブーム・日本酒ブームだからか、春の酒屋も彩り豊かである。春の酒と称して桃色のラベルの酒、瓶の色が薄く紅をさした色だったり、濁り酒の白だったり、さらに発泡だったりと華やかで、デザインも凝っている。そんな色だけではなくて、香りも華やかになっている。花から採れた酵母といのを使って醸したという酒もある。季節を匂いと色で感じようという日本の風土ならではの酒の楽しみ方なのかもしれない。
 よく行く酒屋は壁も床も棚も木製で、冬の間はあまり感じなかったが、暖かくなってきたからか、店のご主人がよく磨いているからなのか、入った瞬間にほんのり木の香りがする。ここで酒を飲むと、升で酒を飲んでいるようなというよりも、店全体が黒く光った磨かれた木で覆われているので、どちらかというと酒樽の中で飲んでいるような錯覚になる。
 旅人は、人間を続けるよりもいっそのこと酒壺になってしまいたいという歌を残している。

なかなかに人とあらずは酒壷に成りてしかも酒に染みなむ(大伴旅人)

 そうねぇ。そんな気持ちも分かるなぁ。当時の酒壺は陶器だったのか、須恵器のようなものだったのかよく分からないが、酒に染みなむというのは、その酒壺に酒が染みこむように、自分にも酒が染みませたいイメージなのかもしれない。だとすると、釉薬を使った陶器や磁気を想像すると少し違うのかな。
 今なら、酒樽をイメージする方が酒のしみこみ具合、またそんな風に自分もなってしまいたいという思いが伝わるのかもしれない。やっぱり、少し黒ずんで、酒の匂いが外からも感じられるような須恵器。太宰府ではどんな酒器で飲んでいたのか、どんな匂いと色を愛でながら酒を飲んだのか。酒壺になりたいほどの域には達すると見える世界の匂いと色をちょっとだけ体験してみたい、そんな気もするね。

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